kayagreenの経営者ですが、仕事ばっかりはしていられませんね。
実は歌うたい、文章書きでもあります。
15歳で初めてアコースティックギターを手にし、作詞、作曲、弾き語りを始める。
その後、レゲエバンド400yearsを立ち上げ神戸を拠点に活動。
同時にベーシストとしてブルース、R&B、ハードロックなどの数々のバンドを経験。
21歳の時、神戸のジーベックホールで行われたアマチュアバンドコンクールでベストベーシスト賞を受賞。
ジャズの歌唱に興味を抱き、ジャズボーカリスト大森浩子に2年間師事。
2008年に「日本語の歌が歌いたい」という理由で、 ふうよう という名でソロ活動開始、小説も執筆。
関西を拠点に活動中。

夜の公園(水色)


夜の公園(水色)  深夜の巨大な公園は人気が無くなったのを見計らったように、うるさいくらいに、ざわめき立っている。
神経を研ぎ澄ました草木は、太陽が沈んでから地中深く根を下ろす。
その音が聞こえる。
草木は一斉に土を喰らい、水を吸い上げる。
夜の闇が地中ならば、深夜闇に向かって神経の根を延ばす自分は、草木と似ているなと思う。
あおいは夜が好きだと言った。夜から朝へ、いつも始まりは闇からだと。闇の中に手を延ばすと光りに触れるような気がする。  「夜中でも花は咲いているのよ」とあおいが言った。
白い小さな花が足元のあちこちに咲いている。夜中に花が咲いているなんて、少し不思議な気がした。当たり前のことだけれど、花は、人に見られるために咲いているのではないのだ。自分の生命の証として、花は誰もいない公園でその白く輝く花を咲かせるのだ。  夜が明けたら朝露で溶けてしまいそうな輝きだった。  花に混じって硝子の破片が落ちていた。水色の磨り硝子の破片だ。白い花の中のその水色は、何故か景色の中で、一番自然な色をしていた。  あおいは水色の硝子を拾い上げた。手の中で光る硝子の破片は、リンのように、周りの何よりも、異質で美しかった。  リンは、深夜の公園の澄んだ濃厚な空気を胸いっぱいに深呼吸した。湿った、重い、空気だった。土の匂いがした。あおいに林の中の不思議な世界を見せてあげたいと思った。  あおいは水色の硝子の欠片を街灯に透かして眺めていた。何かその中の秘密の模様を捜しているかのように。  リンは、そんなあおいを見て、自分が感じた不思議なんて、あおいはもうとっくに知っていると思った。そんな感覚はあおいの周りから、揺らめき、立ち込めている。あおいも、あんな『声』を聞くのだろうか。そして、消えてしまいそうな自分を、その膜で遮断し、存在を守ってくれるのだろうか。  あおいは、硝子の破片をひとしきり眺めると、リンに手渡した。そうだよ、わかってるよ、リン、あなたのように、『声』は聞こえないけど、私は、この硝子片のように、いくら雨に打たれようと、風にさらされようと、土に中に埋もれようと、削られても、何も変わらず、自分であり続ける。  ただ、黙って、手渡されただけなのに、リンはあおいに、そう言われたたような気がした。

母親の物語(現実との区別のつかない鮮明さ)


母親の物語(現実との区別のつかない鮮明さ)  生きて行くことに意味があるとしたら・・・。  仕事や雑多な家事の最中にその答えを求めて、今畳んだばかりの洗濯物の太陽の匂いの生命の息吹を胸に吸い込んでみる。窓から差し込む光や、近隣から聞こえる生活の音。そのどれもが暖かい命の証ではあるけれども、そのどれもが生きて行く意味にはならない。  生きて行く意味とは、『希望』なのだろう。 Jazz シンガーとして現役の時、そんな事は考えもしなかった。『希望』、なんて使い古された、偽善者が言う言葉だと思っていた。  今は、そんなふうに思っていた『希望』が何よりも欲しかった。  しかし、何処を探しても『希望』は見つからない。それは無くしてしまったのだ。それとも奪われてしまったのだ。いつも考える。何をしていても、何処に居ても、自分はこの先どう生きて行けばいいのか。何のために生きて行けばいいのか。例えば、誰かに打ち明けたとしても、息子が居るではないか、息子のために生きればいいのだと、答えるだろう。それはそうかも知れない。でも、それだけでは、本当の生きていたいという答えにはならない。息子のことはもちろん愛している。そして、まだ、こうして生きているのも息子がいるからだ。  いつの頃からか、死を意識しはじめるようになっていた。その感情は、無意識に、意識のなかに潜入していた。  私は、生きようとしているのだ。  「私は生きようとしているのだ」そんな言葉は死を意識しないと出てこない言葉なのだろう。  しかし、私は自分を生きているのだ。たとえ息子であれ、他人の人生に寄生して生きているのではない。  私は、私自身という視点で自分を見る時、他人には解らない空虚な空き地があるのだ。それは、日を追うごとに広がって行くのだ。  日を追うごとに、その場所は広がって行くのだ。  そして私は、眠っている時、起きている時、無関係に不意にその場所に立っているのだ。現実との区別もつかない程鮮明さで。  眠りだけが救いだった。悪夢も見た。しかし、何の夢も見ず眠っていられる時もあった。そして、目覚めた時、目覚めた瞬間、死にたいと思うのだ。死にたいと願うのだ。いつも、いつも、目覚めた瞬間、そう願うのだ。どん底という所があるのなら、今自分が居る所が其所なのだろう。はっきりとわかるのだ。これ以上、落ちようが無い、底の湿った地面の感触が、足の裏から、座り込んだ膝や太ももから、ここが底だと感じさせてくれる。身動きが出来ない。上って行く手がかりもない。其所は狭くて、自分の声は他人には届かず、自分の中で反響するだけで、外の雑音は容赦なく、耳の周りを渦巻く。 琳太郎に、せめて言葉を残してあげたい。最後に母親として言ってあげられる事。 自分の全てが終わろうと、琳太郎は独り、生きていかなければならない。生きる事を続けて行くために、どんな言葉を残してあげられるだろう・・・。何も思いつかない。自分は言葉さえ、無くしてしまったのだ。  誰か助けてほしい。  誰か救ってほしい。  もう、私は、自分で立ってさえいられない。  私は、立ってさえいられない。

夜の街


夜の街    あおいは沈黙したまま、じっと街の明かりを見ていた。  リンは、そんなあおいを、何かを決意するために、黙ったまま、風に吹かれているのだと思った。  リンは、そんなあおいの横顔を見上げていた。  あおいは思う。この街は全部が全部、依存というものを、優しさとか、愛情とか、そんな表現で、ごまかし、正当化して、溶け合おうとしている感じがした。  それは、吐き気のする程嫌な感覚だった。自分は、この街にさえ、依存し、溶け合うのは嫌だ。  何故あんなにも明るいのだろう。道路の隅々まで、家々の隅々まで、照らし出そうとしているのか。でも、そんな事は不可能だ。照らし出した分、必ず影が出来る。 あおいは両親を知らない。祖母と祖父に育てられた。そのことで引け目や、負い目を感じることは無かった。むしろ、その方が良かった。両親に依存している同級生の姿を見ると、何か解らない怒りを覚えた。『助け合い』、とか『クラスの仲間』とか言う言葉を皆、しょっちゅう口にした。  そんな言葉を聞いたり、見たりする時、居場所の無い、曖昧に浮き上がった自分がいた。上手く呼吸することも出来ないこともあった。  この街も、結局、そんな全部と一緒なんだ。  深夜の街が曖昧に歪みはじめる。  歪み始めた街の空気は、光で焦げ付かせた場所から、その焦げ付いた匂いをゆらゆらと浮遊させ、雑多な空気と混ざり合う。 辺りには異臭が立ち込め、まともな呼吸を止めてしまった。  あおいはこういう瞬間をよく知っていた。暖かみの無い強烈な光は、自分の隅々まで暴き立てるように照らし、空気はいつも他人の残り物のような匂いがした。  怒りが、湧き上がる。  本当はそんな感情に震えたくなんか無い。  何故なんだろう。  怒りは、縁に触れて湧き上がるものなのだ。それは、この街の、歪んで正当化した膿みが、辺りに立ち込めているからだ。  ここから早く離れなければ。  「乗って」  あおいはリンを後ろに乗せ自転車をこぎ、公園へと向かった。

自然の断片、あるいは風に揺れる草木など


夏の雲がモリモリと空に積まれてゆく。
子供の記憶に残るのは、
風や揺れる草木や水のきらめき、
土の感触。

自然は身の廻りにたくさんあるけれど、
見るのはコンクリート、アスファルト、プラスチックの壁や床。

そんなの見ちゃいけないよ。

風に草木が揺れるのを見てください。
土を触って、本当の事を理解してください。

自然を理解したうえで、プラスチックやアスファルトを見てください。

土がどれだけ柔らかくていい匂いか、忘れないでください。
生き物の匂いです。

プラスチックは死んだ匂いです。

違いを学んでください。

この夏、いい夏休みでありますように。

次の小説のタイトルは「桜童子」!

細々と小説みたいなものを書いてますが、
多分あまり読まれてないかもしれませんね。

「青い夢をみた時に」はいよいよ終盤にさしかかってきましたよ。

この作品を書きながら、次の小説も書いてます。
「桜童子」です。

B型のヨメは僕のことを、TV見ながらボーッとしてばっかりや!
とか、思ってるのかもしれませんが、
実は「桜童子」のことばかり考えています。

次の小説はすごいですよ!

平安時代から現代まで生き続ける「鬼」のお話です。

お楽しみに!(の)

小説 青い夢を見た時に12 母親の物語(距離感)

母親の物語(距離感)



 どの曲も、どんな曲も胸に響く前に消えて行った。 

 何も、胸に響くものは無かった。歌をやめた。

 

 出来ることなら、誰も自分のことを知らない所に居たかった。

 どうしても今までのように他人と上手く心を通わせることが出来なくなっていた。他人に対して距離を置かせた。それは、他人と自分とでは、住んでいる世界が違うような気がしたからだ。いくら何かをどうにかしても、もうもとには戻れない。

 その距離は、途方も無く、世界そのものが違っていた。

 

 そして、あたしは知らなかった。歌うことは自分を愛することができる者の証であることを。

 今の自分は、自分のことを愛しているのだろうか。

 今更ながら、そんなことを考える。

 自分を愛しているとしたら、まだ歌っていただろう。

 日常生活の様々な物や刺激の中で、溺れそうになっている自分に気づく。テレビやラジオや街の喧騒や、蛍光灯のちらちらする光や、その他雑多な物音や光、どれもが騒々しく、眩しすぎた。それらはじっとしていても波のように押し寄せ、空っぽの胸の中でぐるぐると渦を巻き、耳の中で増幅されて行った。

 休みの日、琳太郎が学校に行っている間、日常のいっさいの刺激を遮断し、ただひたすら、眠った。ただひたすらに、全ての感覚を遮断するのだ。

そうやって、溺れそうになっている自分を安息の小島へ運ぶのだ。

 眠りだけが避難場所だった。

小説 青い夢を見た時に11 夜の海

夜の海



 海を見に行こう。とあおいが言った。自転車置き場から自転車を出して来た。あおいの部屋のキーホルダーにはシルバーの羽飾りが付いていた。夜の風にあおいの髪の匂いが溶けて行った。

 目の前の視界が開け、海岸沿いの広い道路に出る。暗い海面が街の明かりを反射して、きらきらと光っている。光の届かない部分は、空なのか海なのか区別が付かないほど、真っ黒に塗りつぶされていた。銀の羽根のキーホルダーを細い人差し指でくるくると回しながら、「あの暗い水の中をひとりで泳いでいるとしたら、どんな気持ちがするかな?」とあおいが言った。暗い水の中を泳ぐのは、案外気持ちいいかも知れない。全く視界の効かない世界で水圧だけがある。

 あおいは自転車をガードレールに保たせかけて砂浜に降り、海の方へ歩き出す。そんなあおいの姿をガードレールにもたれ、柔らかい風に吹かれながら、見つめた。あおいの着ている夜色の服は、夜の海にとても似合うような気がする。真っ直ぐに波打ち際まで歩き、夜色の服を脱ぎ捨てると、闇の中に人の形に穴が空いたように、あおいの身体がぼんやりと光って見える。

 しばらく、あおいはそうやって潮風に吹かれていた。あおいの細い肩や背中は、それでも歌っているように見える。

 あおいは、この暗い海の表面に揺れる街の光をステージの照明のように身体にまといながら、暗闇と光を楽しんでいるようだ。

 あおいがゆっくりと海に入って行く。空間は消え、再び闇が辺りを支配する。海が発砲している。白い身体が水面に浮かび上がる。

 

 地鳴りがする。

 やっと聞き取れる程の低音。何処かの家の赤ん坊が、その音で目を覚ます。母親が乳房を与えたが、その柔らかい感触に怯え、固く立った乳首を噛む。リンは自分の母親に感謝した。固い母親の胸に感謝した。憎めばいいのだ。固い胸を憎めばいい。

 その感情は殻のような感覚だ。外界と自分とを遮断する。



 あおいは暗闇の中、水圧だけを感じ、波に身を任せ、全身の力を抜き、流されるままに、波間を漂った。

 沖に流されそうになると、水中に潜り、安全な場所で、また波に身を任せた。そうやって漂いながら、あおいは、自分の見た事も無い母親のことを思い出した。母親の感触だ。羊水の感触だ。視界の効かない真っ暗闇の中で、生まれる前の記憶を感じた。自分と母親は、その時、一つの命だった。

 水中に潜り、しばらく息を殺し、街の雑音を遮断した。

 そんな事実の中で私は生きて、私の好きなもの、綺麗なもの、心惹かれるもの、自分を守ってくれるものを、自分の感覚で選んで身にまとい、生きて来た。

 目を閉じ、水圧だけを全身の全神経で感じながら、ガードレールの所にいる、小さな友人の事を思う。あの子が、あんなに細い指で、この街に生きて、そして何物にも支配されず、いてくれたらいいのに。そのまんま何も変わらず、輝く感覚を持ったまま。ずっと、ずっと。



 君は溶け入ることもせず 差し伸べた手さえも掴もうとせず

 身体の中に光りを抱き 身体の中に魔物を抱き

 全ては輝いているかも知れないのに そんなに細い指で 全てから遠ざかる

 

 君の祈りは届くと思う? はだしの指に茨が刺さろうと

 全部の世界を巡り歩き その果てに行き着いてしまっても

 何かを見つける事が出来る? その果てに砂しか無くても 空気さえ無くても

 そして誰もが忘れ去り 世界が君のことを 闇の中に捨て去っても

 私はずっと覚えていよう その光り輝く感覚を

 

 あおいが海から上がって来た。タオルで髪を拭きながら。

 「戻ろう」とあおいが言った。濡れた髪が夜の海みたいに街の明かりを映していた。

小説 青い夢を見た時に10 あおいの部屋

あおいの部屋



 マイクに止まった蝶は、あのフロアの何物とも混ざり合わず、はっきりした輪郭で、シルバーの鎖のように輝いていた。そのフロアの中では異物だった。

 ステージが終わり、蝶の指の男の子に声をかけた。「名前はなんて言うの?」

 「りんたろう」と蝶の指の男の子は答えた。危険な場所に迷い込んだか弱い蝶のようだった。



 リンは自分のアパートとあまり変わらない古い錆び付いた鉄階段を上った。

 あおいの部屋は散らかっていた。本やCDや、何かを書き留めたノートやら、描きかけの絵や、写真。でもその散らかり方は、自然とそうなってしまった、という散らかり方だった。人の生活が息をしていた。

 あおいは本棚に並べられたCDを端から順に指を這わせながら調べている。

 窓際にいるリンに声をかける。あおいはリンの側へ行き、まっすぐで柔らかい髪を撫でる。並んで立つとあおいの顎の下くらいにリンの頭がある。部屋に、甘い女性ボーカルのヒップホップが流れ出す。あおいは曲にあわせて、ゆっくりと揺れるように踊ってみせる。リンはあおいの指先に塗られたメタリックなマニキュアを見る。女の人を見たような気がした。そのマニキュアは、蝶の羽根に浮いたきらきら光る粉を思わせる。あおいはリンの視線に気付き、胸の前で指を組んで見せる。

 「何を歌っていたの?」?Blues? 細い指を広げてマニキュアを見ながら言う。盲目的に女を愛する男の歌よ。そのまま歌いだしそうな言い方だった。

 CDが終わり、甘いボーカルは、リンとこの部屋を少し馴染ませた。あおいが部屋の隅にあったアコースティックギターを静かに弾きはじめた。

 My funny valentine とあおいは言った。sweet comic valentine you make me smile with my heart 〜 優しい歌声だった。

 幼い頃、同じような歌を聞いたことがあるような気がする。それはほんとに遠い昔で、母親の匂いと共によみがえる。柔らかい布に包まれて、ミルクを飲みながら、母親が子守唄のように、自分だけのためだけに、小さな声で、優しく揺れながら。その母親の歌声には大きな安心感があった。母親と自分は溶け合っていた。一つだった。『声』が聞こえるようになるまでは。

 いや、『声』は隠れていただけかも知れない。自分の背後か、母親の固い胸の中か、生まれた時からずっと、その時が来るまで。

 

不思議とその歌を覚えていた。細部はぼんやりしていたけれど、それでも聞き覚えのある歌だった。言葉ははっきりしないので、わかる所を除いてハミングしてあわせた。あおいと一緒に、ゆっくりと、ひと言一こと、あおいの言葉に意味を見いだせるように聴きながら歌った。あおいはリンのハミングに合わせて丁寧に一小節ずつギターを弾いた。

 あおいはこの曲が好きだった。バンドで歌うことも好きだけど、その時は、客を前にして、異様な空気の中、全てが曖昧にぼやけ、歪んでいた。あおいはそんな時、決してその中に溶け込んだりしたくなかった。



 何故なんだろう。

 それは、蝶の指を見た時、わかったような気がした。泥の中で見つけた綺麗な石ころ、浜辺で見つけたガラス片。自然の中で緑や草花は全部が一つにつながり、全部が景色の一部だ。街もライブハウスも、全部、それらの一部だ。リンは違っていた。際立っていた。泥の中の紫色に光る石ころのように異質で輝いていた。そうだよね、自分は自分でいたいよね。誰の真似もしたくないし、何かに溶け込んだりもしたくないよね。自分のギターに、たどたどしく合わせて歌うリンに、あおいは自分の一片を見つける。リンの歌声はあおいに不思議な驚きと感動を呼び覚ました。音楽の知識なんてなにも持っていないリンの歌声は、素朴で、飾り気が無く、一言ひとことが、水滴の一しずくのように、粒となって、部屋の中に浮かんでいた。

 あおいは、一人で自分のために歌う時、この曲をよく歌った。

 リンはゆっくりと一音一音少しつまずきながらも、曲を、音を、メロディーをたどるのが楽しくて、ずっと歌っていたい気持ちになった。

 ずっとこうやって、音と、曲と、戯れていたいと思った。

 そうだ、自分が探しいていたものは、こういうものだったのかと思い、キリン草の生い茂った空き地や、海岸のテトラポットの中や、新興住宅地の地下を通っている下水管の中には何も無かったけど、自分の声の中にそれがあったのだと気が付いた、それは、自分という存在を確かな感覚で感じることが出来た。

 何故か、自由になれたと思ったら救われ、太陽で温められた砂の中に手が埋もれて行くような安心感がリンを包んだ。

小説 青い夢を見た時に9 母親の物語(違う自分、落とし穴)

母親の物語(違う自分、落とし穴)



 スピーカーから聞こえて来る声は、途切れそうな息子の足跡を追わせながら別のものの所へ連れて行く。空き地は時折ぽっかりと目の前に現れる時がある。昔の自分の歌を聞いていると不意にその場所へ迷い込んでしまう。地面に落ちているものは、今はもう着ることの無い舞台衣装。風にゆらゆらと揺れている。?目を閉じる? 空き地は消える。歌声だけが闇の中に残る。アパートの階段を駆け上がる足音。ドアをノックする。扉の向こうに人の気配がする。ガタンと郵便受けに何かを入れるような音がして人の気配は消える。シャツのボタンを一番上まで止めようとしている自分に気付く。周りの人間の沈黙の言葉が、今届いた封書の中に認められているような、そんな気がして、シャツの胸元をぎゅっと握りしめる。紙切れを拾い上げる。土埃で汚れた白い紙切れ。32。最後の舞台衣装の袖口に留められていた番号。足下に埃だらけのドレスが風に揺れている。背中が腰の辺りまで大きく開いた舞台衣装。ずっと向こうに昼下がりの太陽の光を眩しく反射させてスチールの衣装掛けがぽつんと立っている。この場所はいつも午後の太陽の光に包まれている。何故、この場所はこんなにも鮮明なのだろう。?目を閉じる? 紙切れは消える。スローなブルース。違う自分が歌っている。彼女は、怒りや、喜びや、悲しみや、愛情や、絶望や、何もかもをその歌の中に激しく、優しく織り込み、言葉一つ一つが踊り、血を流している。彼女は他人を幸せにすることも、深く傷つけることも出来るだろう。そして、柔らかく傷口に口づけることも。彼女は愛され、傷つけられ、その渦の中で歌う強さを持っている。そして、彼女は自分だった。まぎれもない、自分だった。

 彼女はまだ何も失ってはいなかった。

 病院で麻酔から覚め行く時、何の涙か解らない涙が出た。もうろうとした意識の中で、現実が再び色濃く、際立って来た時・・・。

 乳房を取らなければいけない。医者の言葉を聞いた時、その場所は、もう静かに渦を巻いて小さな暗い落とし穴のように自分の胸の中に、針の先程の場所を作りはじめたのかも知れない。

 二回目の手術の後、その場所はもうはっきりと胸の中に在った。ずっと眠っていたかった。もう、自分が自分で無くなってしまった。そう思わずにはいられなかった。スローな、よく琳太郎を抱きながら歌った曲を口にしてみた。虚空に向かって、落とし穴に向かって、空き地に向かって、歌は、口にした矢先から、響きを得る間もなくかき消えてしまった。jazzのさまざまな曲を聴いてみた。どの曲も、どんな曲も、胸に響く前に消えて行った。

 それは暗い底の無い落とし穴に吸い込まれるような感覚だった。

 選択肢はいろいろあった。しかしどの道を選んでも、どんな選択をしても結局は、乳房を失い、今の自分のように何も無い自分になってしまったのだろう。

 自分には、選ぶことが出来なかったのだ。

小説 青い夢を見た時に8(リンの物語り(蝶とシルバー)

リンの物語(蝶とシルバー)



 食事が終わると母親は仕事に出かけて行った。リンは狭い部屋の中から音のする方向のネオンの光を見ていた。点滅する光を見つめた。そして声を聞いた。母親でもない、あの『声』でもない。何の感情も無い。でも、その声は歌っていた。



 古びた雑居ビルの狭い階段を上り、分厚い防音の扉を開けると圧倒的な音の風にあおられ、ふわりと身体が浮いたような気がした。きらきらと粉のような光が舞っていた。

 人のかたまりが音の波にあわせて揺れ、アルコールと煙草と香水と息と汗との混ざった匂いがした。知っている匂いだ、とリンは思った。母親の匂い。朝目覚めたとき、部屋の中にぼんやりと漂っている匂い。背中のあたりが少しざわついた。自分の輪郭が少しぼやけ、身体を動かすと周りの空気に指先から溶け入りそうな気がした。

 何も言うな。

 『声』が何も言わず押し黙った。

 『声』の存在が、背後からゆっくりと肩口まで上がってきて、深い沈黙がリンを包み込んだ。息づかいだけが聞こえる。リンを包み込んだ沈黙は、周りのいっさいのものからリンを遮断し、身体の輪郭をはっきりと浮き上がらせた。フロアの人のかたまりは、この部屋の光や空気と混ざり合い、解け合おうとしていた。男も女も、椅子やテーブルやグラスや灰皿や壁や照明も何もかもが混ざり合い、溶け合おうとしていた。

 歌声が聞こえた。その声は、そんな空気を引き裂いた。客がどっと歓声をあげた。声は、そんな歓声も引き裂いた。まるでこのフロアをまるごと引き裂こうとしているみたいに。声は、リンを包んでいた沈黙の膜の内側に滑り込んできた。リンはその声の衝撃で身体が震えた。膜の内側のむきだしの部分をいきなり傷つけられたような衝撃だった。気持ちが悪くなって入り口のドアに片耳をうずめた。身体から、『声』が作り出した沈黙の膜がぼろぼろと剥がれ落ちた。

 混ざり合いたくない。

 スピーカーから大音量で聞こえてくる女の歌声は『声』を消し去った。自分の怒りではなく、ぎらぎらと光る正面のステージで歌う女がリンを包んでいた柔らかい逃げ場所を剥ぎ取った。リンは一瞬、暗闇の中にいた。音と景色が遠のいた。そして入れ替わるように母親が意識を支配した。母親は暗闇の中に色と音をその手に引きずるようにしてリンの背後から手を延ばした。長い爪が腕に食い込んできた。母親からはアルコールと煙草と香水の匂いがした。この部屋の空気と同じ匂い。身体は、自分を傷つけたその声の方へ近づこうとした。母親の腕は、リンを抱きしめようとした。振り向かせようと肩に手をかけた。

 混ざり合いたくない。

 リンはフロアの丸いテーブルの間を縫って声の方に向かって歩いた。むき出しになった意識はその声に絡み付くようにリンをステージへと突き動かした。客の一人が、ステージに向かって「あおい!」と叫んだ。?あおい? とリンはつぶやいた。気が付くとステージの正面に立っていた。目の前の女が客に応えてにっこりと微笑んだ。マイクを握った細い腕で銀色の鎖がきらきらと光った。演奏がギターのソロになった。あおい、と呼ばれた女はペットボトルの水を少し飲み、膝を折ってリンの隣の女に煙草をもらった。マイクを外して「たばこ・・・」とリンの顔のすぐ側で言った。長くてウエーブのかかった髪が照明で紫色に染まっていた。そっとマイクを床に置いて煙草に火を付けてもらった。床に置いたマイクが小さなハウリングをおこし、ギターの音に増幅されてギーンという音が鳴り響いた。

 肩に母親の爪が食い込んだ。

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