kayagreenの経営者ですが、仕事ばっかりはしていられませんね。
実は歌うたい、文章書きでもあります。
15歳で初めてアコースティックギターを手にし、作詞、作曲、弾き語りを始める。
その後、レゲエバンド400yearsを立ち上げ神戸を拠点に活動。
同時にベーシストとしてブルース、R&B、ハードロックなどの数々のバンドを経験。
21歳の時、神戸のジーベックホールで行われたアマチュアバンドコンクールでベストベーシスト賞を受賞。
ジャズの歌唱に興味を抱き、ジャズボーカリスト大森浩子に2年間師事。
2008年に「日本語の歌が歌いたい」という理由で、 ふうよう という名でソロ活動開始、小説も執筆。
関西を拠点に活動中。

母親の物語(現実との区別のつかない鮮明さ)


母親の物語(現実との区別のつかない鮮明さ)  生きて行くことに意味があるとしたら・・・。  仕事や雑多な家事の最中にその答えを求めて、今畳んだばかりの洗濯物の太陽の匂いの生命の息吹を胸に吸い込んでみる。窓から差し込む光や、近隣から聞こえる生活の音。そのどれもが暖かい命の証ではあるけれども、そのどれもが生きて行く意味にはならない。  生きて行く意味とは、『希望』なのだろう。 Jazz シンガーとして現役の時、そんな事は考えもしなかった。『希望』、なんて使い古された、偽善者が言う言葉だと思っていた。  今は、そんなふうに思っていた『希望』が何よりも欲しかった。  しかし、何処を探しても『希望』は見つからない。それは無くしてしまったのだ。それとも奪われてしまったのだ。いつも考える。何をしていても、何処に居ても、自分はこの先どう生きて行けばいいのか。何のために生きて行けばいいのか。例えば、誰かに打ち明けたとしても、息子が居るではないか、息子のために生きればいいのだと、答えるだろう。それはそうかも知れない。でも、それだけでは、本当の生きていたいという答えにはならない。息子のことはもちろん愛している。そして、まだ、こうして生きているのも息子がいるからだ。  いつの頃からか、死を意識しはじめるようになっていた。その感情は、無意識に、意識のなかに潜入していた。  私は、生きようとしているのだ。  「私は生きようとしているのだ」そんな言葉は死を意識しないと出てこない言葉なのだろう。  しかし、私は自分を生きているのだ。たとえ息子であれ、他人の人生に寄生して生きているのではない。  私は、私自身という視点で自分を見る時、他人には解らない空虚な空き地があるのだ。それは、日を追うごとに広がって行くのだ。  日を追うごとに、その場所は広がって行くのだ。  そして私は、眠っている時、起きている時、無関係に不意にその場所に立っているのだ。現実との区別もつかない程鮮明さで。  眠りだけが救いだった。悪夢も見た。しかし、何の夢も見ず眠っていられる時もあった。そして、目覚めた時、目覚めた瞬間、死にたいと思うのだ。死にたいと願うのだ。いつも、いつも、目覚めた瞬間、そう願うのだ。どん底という所があるのなら、今自分が居る所が其所なのだろう。はっきりとわかるのだ。これ以上、落ちようが無い、底の湿った地面の感触が、足の裏から、座り込んだ膝や太ももから、ここが底だと感じさせてくれる。身動きが出来ない。上って行く手がかりもない。其所は狭くて、自分の声は他人には届かず、自分の中で反響するだけで、外の雑音は容赦なく、耳の周りを渦巻く。 琳太郎に、せめて言葉を残してあげたい。最後に母親として言ってあげられる事。 自分の全てが終わろうと、琳太郎は独り、生きていかなければならない。生きる事を続けて行くために、どんな言葉を残してあげられるだろう・・・。何も思いつかない。自分は言葉さえ、無くしてしまったのだ。  誰か助けてほしい。  誰か救ってほしい。  もう、私は、自分で立ってさえいられない。  私は、立ってさえいられない。

コメント
コメントする








   

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
kayagreen home
kayagreenについて
greenfingers自然素材でつくる家庭菜園つきエコアパートプロジェクト
オープンガーデン&スタッフブログ
ふうよう huuyou
つちとヒト
links
Facebook & Twitter

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode
みんなのブログポータル JUGEM